熊山は岡山県の南東部に位置し標高は508mである。その山塊は赤磐市、岡山市、備前市、和気町に及んでいる。
北から岡山県三大河川の一つである吉井川が熊山の背後で西に廻りこみ、さらに南の邑久平野を通り児島湾に注いでいる。
熊山の山頂付近には謎の遺跡として有名な熊山遺跡があり、国の史跡となっている。また、熊山の南部は4世紀代から連綿と多くの古墳が築かれている地域である。
国指定の熊山遺跡。基壇の上に三段に石積みで築かれている。二段目中央には四方に龕を設けている。
説明の立て看板
中央の竪穴から陶製の筒形容器が発見されたこと、築造年代は奈良時代前期で仏塔と考えられていること、
山中にこの石積遺構を含め33の石積み遺構が確認されていることなどが書かれている。
(天理大学附属天理参考館所蔵)
熊山遺跡の中央部分は竪穴になっていて、ここに収められ天井石で蓋をされていたが、盗掘により出土した。筒は須恵質で5段に作られており、全高162cm、最大径45cm。中には奈良三彩釉小壷と皮革様固形物が収められていたと言われているが、現在、行方不明である。
吉井川は熊山のすぐ西に接して流れ、邑久平野を潤し瀬戸内海へ流れ込んでいる。
写真は手前に坂根堰が見え、川は奥へ流れている。邑久平野の北端が見える。
写真手前の丘陵の頂あたりが丸山古墳。熊山の南に位置している。30面以上の鏡が出土するととも
に、刳抜式の見事な石棺が納められている。熊山の南面の丘陵上には古墳が多く築かれている。
築山古墳は前方後円墳。後円部に露出した石棺を見ることができる。
後円部から前方部を見る。
前方後円墳。登り口にある石碑。
前方部から後円部を見る。
備前市立西鶴山小学校の北の丘陵上にある。前方後円墳
新庄天神山古墳の入り口。円墳。
並ぶように築造されている。以前は同じ丘陵上にあった。
前方部が短い帆立貝式古墳。
石棺が納められていた後円部は大きな穴があいている。
前方後円墳。中央に見えるのが後円部
熊山遺跡は熊山の頂上付近にあり、石積みで三段築成され高さは約3.5m。形は全段ほぼ正方形で、最下段の一辺は8m弱。中段の四方それぞれに龕を設けている。頂部には竪穴がつくられており陶製筒形容器が収められていた。これは五つの筒形部分から成り、全高162cm、最大径45cm
である。現在、天理市の天理参考館に所蔵されている。
この特異な構造物はいつ、だれが何のために造ったのだろうか。これまで戒壇説、墳墓説、修行台座説など諸説あり、最近では奈良時代の仏塔説が有力になっているが謎の部分が多く残されている。
私は熊山遺跡に興味を持ちたびたび訪れていました。一部の人には知られている事ではあるのですが、ある時地図を見ると、南の丘陵上にある丸山古墳は熊山遺跡の真南にあるのではと思ったのです。丸山古墳は径50メートルほどの円墳で、鏡が30面以上出土し石棺は類のないほど見事なもので国の史跡に指定されている。
それを確認するためにGPSで緯度・経度を測定することを思い立ちました。実際に測定してみると、結果は驚くほどの精度で真南真北の位置にあることがわかったのです。
緯 度 | 経 度 | |
熊山遺跡(A) | 北緯 34° 45′ 14″38 | 東経 134° 7′ 13″26 |
丸山古墳 | 北緯 34° 43′ 7″67 | 東経 134° 7′ 13″68 |
注)測定結果は機器の状態、その他条件により多少の誤差が生じます。
熊山石積遺構は30以上あるといわれています。また、熊山南部は多くの古墳が分布しています。同じようなケースがほかにあるのではないかと思い、石積遺構と古墳の位置情報を測定してみました。